玉葱攻防戦 ・ 1







ぐす、ぐす、……ッは……


「まいったなーこりゃ」

敵はもう片付けた。おれの勝利だ。だが涙は止まる気配を見せない。
次から次に水の粒が目の端から滑り落ちる。いったん止まったかと期待すると、またツーンと鼻から上ってくる水が瞼のうちから涌き出てきやがる。
「火を入れちまえば治まるだろ……」
涙涙の戦闘の末片付けた敵の山―――みじん切りにした玉ねぎ――を、熱した油に投入すると、むわっと刺激臭があがった。また涙が溢れる。
ぼろぼろ落ちる涙が鍋に入らないようタオルに吸わせながら手早く鍋の中身を炒め、他の具材と合わせると水をひたひたに入れて蓋をする。
あとは蓋の下で煮えるまで待てば、目と鼻を突く刺激もなくなるだろう。

今日の玉葱は手強かった。
長くコックをやってるこのおれだ、普段は玉葱を切るのにいちいち涙まみれになったりはしない。
だが、玉ねぎの中にはまれに、切るとものすごく目や鼻を刺激する個体がある。今日の敵がそれだ。
おれでこうなんだから他の連中だったら鼻水も盛大に流しそうだな、なんて思いながら目を押さえる。やっと治まってきたみたいだ。

頬や口の周りまで濡れた顔をタオルに埋めて、鼻をすすっていると、ガチャ、と扉の開閉音がした。

「おい」
ふかふかした黄色のタオル地が取り払われる。
と、今度は緑の草原が視界に入った。
その下方には、軽く目を見開いたマヌケなマリモ野郎の顔。
「……てめェ、なに泣いてやがる?」
やべ、見られちまった。
「泣いてねェよ」
「ウソ吐け、泣いてるだろがどう見ても」
「泣いてねェって。ホレ、涙なんか流れてないだろ」
「アホか今の今まで泣いてたんだろ、目んとこやら頬やら赤く腫らしやがって」
「泣いてねェ!」
……なんて言っても嘘ってバレバレだよなァ。まだ頬のあたり湿ってる感じがするし。
でも玉葱切って涙が止まらないんだよとか言いたくねェ絶対馬鹿にされるコックとしてのプライドにかけてもぜってェ言いたくねェ!
次なる反撃には何と言い返すべきか、明後日を向いて思案していると、前方の気配がすっと後ずさるのを感じた。

「そうかよ」

パタンと静かにドアが閉まる。
キッチンには、ぐつぐつと音をたてる大鍋と自分だけが残された。

「……アレ?」

意外とあっさり退いたなあいつ。
閉ざされたドアはもうぴくりとも動かない。本気で行ってしまったようだ。
胸を撫で下ろす。
いやー助かったぜ追求しないでくれて。あいつもたまには空気読めるじゃねーか。
「……さてと、そうなりゃ」
玉葱との攻防のせいで遅れた夕飯の準備の巻き返しをはからねぇとな。遅くなるとルフィが騒ぎ出すからなー。
独り言ちて、作業台に向かうと、自然に頭は調理に集中して、ゾロのことはすっかり消し飛んでしまった。











「ゾロ、あんた今日はお風呂に入りなさいよ」
夕飯の後、食後のお茶まで終わって、ナミさんがおもむろにそう言った。
「るせェな、まだそんなに汚れてないだろ」
「入ったのを見てから何日も経つわよ。冬島近郊ならともかく、この辺りは気温も高いんだし」
「あー、気が向いたらな」
煩わしそうに手を持ち上げ、
「話終わったならあっち行け」
しっしっと追い払う手振りをする、この野郎ナミさんになんて態度だ。レディは丁重に相手しやがれっての!
呆れたとばかりに肩を竦めて踵をかえそうとしたナミさんの前に割って入って、おれが口を開きかけると、ミドリマリモはすっと目を細めた。

それは、驚くほど―――冷え冷えとした、鋭い氷の剣のような目、で。

刹那、おれが言葉を失っている間に、緑色の頭はふいと逸らされ、数人が居残っていたキッチンから出ていった。

「……なにあれ。どうしたのあいつ?」
「おい今なんか今、ずどーんって気温が下がったぞ」
「おれもおれも! ゾロの目は冷却材なのか…!? 氷のうが無い時代わりに使えるかな!?」
ウソップとチョッパーがピントのずれた感想を漏らして互いに抱きついて震えている。
「なんだ、機嫌悪ぃのか?」
最後にフランキーが零した一言は常識的な予測だったが、おそらく当たっている気がした。
ただフランキーが気づいているかどうか知らないが、その原因はナミさんじゃなくって。

きっと、おれ、だ。











洗い物を終えて風呂に直行すると、珍しく緑の頭が湯に浸かっていた。
おおマリモがいる。あんなこと言っときながら、ちゃんとナミさんの言いつけどおり風呂入りにきたんじゃねェか、感心感心。
サニー号になってから風呂が広くなって、2人では広すぎるくらいの大きさがあるので、先客に遠慮して出ていく必要もない。シャツのボタンに手をかける。
機嫌が悪ィ、らしいが、ここで「そんじゃ」と引き返すこともあるまい。
男サンジ、正面から相手してやろうじゃねェか。
「入るぞ」
上半分が湯の上に出ている背中に一応声をかけてみるが、無視された。
おーおーいい度胸だな。

ふー……。

立ち上る白い湯煙があたたかい。深々と息を吐いて肩までつかって力を抜くと、筋肉がほぐれる心地がする。労働の後の風呂はやっぱりイイ。風呂が嫌いとか面倒なんて奴の気がしれねェ。
ざばりと水音がした。
目をやれば、マリモが湯船からあがろうとしていた。
組んだ腕を湯船のへりに乗っけて凭れかかり、マッパのマリモ、だけど分類上は人間のオトコ、が横切っていくのを、ぼんやり眺める。

パンパンに盛り上がった肩の筋肉。腕の筋肉。
鉄の板でも入ってるんじゃねぇかってくらい厚い胸板。
そこに斜めに走った大仰な傷跡。
太っとい腰回り、足回り、に、鎮座するぶっといアレ。
どれもこれも。

ちくしょ、やっぱ男っぽいよなァこいつ。
こっから見てもどっから見てもオトコオトコしてるよなァ。

だけど。
なのに。
それが。
こいつが。

「なァ、お前、なんで機嫌悪ィんだ」

すきなんだよなぁ。


「おれのせいか?」







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