玉葱攻防戦 ・ 2









するりと喉から言葉が滑り出た。



拒絶の意思を示すように向けられていた背中が、ぐっと一段盛り上がり、止まった。
肩をいからせたオトコがぐるりと振り向く。

「――……ッわ!?」
急に体が上へと引っ張り上げられた。
水面が荒れて足を滑らせそうになり、けど、転ぶこともできなかった。腕を取られて、湯船の外へ力任せに引きずり出されたからだ。
冷たい壁が背中にあたり、肩が押し付けられる。
「ってーな! なにすん」
抗議の声を遮って、ドン、ドン、と鈍い音がふたつ。
顔の両側で響いたそれを、それぞれ右と左の耳で聞いた。
「てめェ……」
低い声は、獰猛な肉食獣が人間の言葉を喋ったらこんなだろうかと思う剣呑さだった。グルルル……と牙を剥いた猛獣が唸る幻聴が聞こえそうだ。
「んな目で見んじゃねェよ、クソコック」
エロいツラで誘いやがってこのエロガッパが。
忌々しげに眉を寄せ頬を膨らませて睨んでくる、ギラリとした目線を受け止めて、反射的に投げ返す。
「さ、そってねー! 勘違いすんな、おれァただ……なんでお前が機嫌悪ィんかなって見てただけで」
―――とはいえ、ついつい観察っぽいことをしてたような気はするようなしないような、でも触りてェなとか触ってくんねェかなとかまでは考えてなかったもんよ、だからおれは誘ったりしてねェよなしてねェとも。
壁を叩いた両の拳が、おれの手首をそれぞれ捕える。
ぎゅっと掴まれると、湯に浸かっていたからだろう、
熱くて、強い。
「ってェよ。バカ力……」
掴まれた腕に目を落として、呟く。
注がれるゾロの目線は重さをもっていて。
体が後ろの壁にめりこむような、振りほどこうにも体がうまく動かせないような、圧迫感。
横一文字に引き結ばれていた唇がほどかれ、ゆっくり開かれるのを、まるで審判を待つみたいに、黙って見ていた。

「おれは頼りにならねェか」
「―――――へ」

重々しい声が耳に届いた。返答は一字だけしか出なかった。
コイツ、なんつった?
眉間に深々と皺を刻んだツラ、今にも噛みつきそうな物騒ささえ漂う眼差し。
まじまじと眺めて、ふと、いつだったかの発見を思い出した。

『―――あれ? お前、目……微妙に緑がかってんだな』
『………あ? そうか?』
『そーだよ。スゲーな、お前目までミドリで丸くてマリモなんだなー!』
『るせェぞ』

笑いながらのやりとりは、それだけ聞けば普段の口喧嘩と何も変わらなくて。
けど、濃い目の茶褐色の眸がわずかに深緑を帯びていることをおれが知ったのは、ごく近くでその目を覗きこむ関係になった日のことだった―――。

「聞いてんのかアホマユゲ」
荒げた口調とともに、顔がぐっと近づく。
「てめェはいっつも1人でホイホイ他人のために動きやがって、おれは蚊帳の外か」
「……は、」
「何にも言いやしねェで好き勝手しやがって、挙句1人で泣いてやがって」
てめェが泣くなんてよっぽどだろうによ、と唇を歪める。
「なんでおれになんにも言わねェ」

…………何言ってンのこの人? らしくねェらしくねェ。
……―――っつーか。
かぁっと頭の血が一気に沸騰した。

「……っざけんなてめェ!」
それは、それはおれだって、おれこそが。
言いたかったセリフだ。
だけどお前の行動はお前の信念だろうから、おれだって同じ信念を抱えているから、言えなかっただけ。
「お前が言えた義理か! てめェ、七武海相手に、あん時、スリラーバークで……っ!」
何しやがった!! 
最後の言葉は喉でせき止められて出なかった。
決して熱いなにかが喉を塞いだせいじゃない。ないったらない!
睨み据えた先で、クソ剣士は唇を引き締めた、察しの悪いバカでも思い当たったか。
「あれとてめェのとは違うだろ」
「どこが違うって? あん時、……てめェが見つかるまで! おれがどんな気分だったと思ってんだ!!」

あぁ言っちまった。
あの時の選択を蒸し返して責めたくねェし、弱音を吐くみたいになっちまうのもぜってェイヤで、今まであん時のことには触れなかったってのに。

「……そのことは、謝らねェぞ」
「だろうな、謝るくれェならやるなって話だ。謝ったらオロす! ――それはともかく、お前とおれとどこが違うってんだ。説明できるもんならきっちり説明してみやがれ!」
怒鳴りつけ、ぎりりと睨みつけると、深い茶褐色のひとみから、ふっと怒気が薄れた。
おれの両手を解放し、そのまま腕を組むと、思案するように瞼を閉じる。
「…………あー、あれだ」
無い頭を無理やり回転させてたらしい奴は、やがて重々しく口を開いた。

「おれはお前の泣き顔が見てェんだ」
「悪趣味! 悪趣味すぎるぞてめェ!!」

てか今ってマジメな話じゃなかったっけ。
なんで変態チックな性癖暴露話になってんの!? 

「てめェが気持ちヨクて泣いてんのも、どっか痛いとか辛いとかで泣いてんのも、全部見てェ。隠すな」
「いや、今そんな話してねェだろ……?」
してねェよな……? たぶん。
「なんで泣いてた」
ぐいと迫られて胸が触れそうな距離、後ろは壁なのでせめて顔をのけ反らせて逃げを試みるけど、息のかかる近さにある顔はなぜか、必死、って形相をしていて――――あーもう、ちきしょー!
根負け。

「……玉葱」
「なに?」
「玉葱切ってただけだよ……」
トホホ、こんなこと白状させられるなんて、おれってなんて不孝者! 
への字に歪めた唇に、伸びてきた指先がふに、と触れた、そのまま頬をゆるりと撫でられて、微かな震えが背を走った。
「そうか、ならいい」
ゆるりと顎の先まで辿るように指を滑らせて、ゾロは深く頷いた。
「……てめーの考えてること全然わからねー……さすがマリモ、人外生物」
なんだかどっと疲れた。
だってのに、マリモはさらに追い打ちをかけてきやがる。
「約束しろ、てめェ、泣く時はおれに言え。玉葱切る時でもだ」
「……丁重にお断りさせてもらうぜ。泣き顔なんか人に見られたくねェだろ、普通」

どうして。
約束、なんてワードをここで、こんなことで持ちだすんだよ。
その言葉は、お前にとってほんとうに大事な事柄にしか使わないんじゃないのか? 
お前は約束は破らない。その分簡単に約束もしない。そうじゃなかったか? なんだよ、意味わかんねェ。
なんで? なんで―――そんな。

「……だいたい、おれ、そんなに泣いたりしねェし」
今回の玉葱との戦いはイレギュラーだ。
男サンジ、そうそう涙は見せねェ(素晴らしく素敵なレディに出会えればリットル単位で嬉し涙も流せるのだが)。
「いっつも泣いてんじゃねェか。ヤってる時」
「〜〜そんなん言うな! ノーカウントだそんなモン!」
おれが怒鳴りつけるのを意にも介さず、マリモは良いことを思いついたというふうに口角を上げ、1人でうんうんと頷きだした。
「そうか、てめェの泣き顔をいつもおれが見るって決めときゃ、てめェが他の奴とヤったりすることもねェな」
名案だ、と満足そうに口元と頬を綻ばせたカオに。
どっと毒気が抜かれた。

困ったことに。
気分が、悪く、ない。
話の流れもマリモの思考回路も、どうにもわかんねェ。わかんねェけど。
他の奴とヤったりしねェだろって。 
おれに他の奴とヤって欲しくねェって?
ん、そりゃおれらコイビト同士だしな一応な、他の奴と寝て欲しくないってのは人情だよな。
正面からそう言われて、気分が悪くなるはずもないワケで。
(ま、いっか。そうそう泣いたりしねェし?)
用心して、玉葱は眼鏡かけて切ることにすれば大丈夫だろ。
あーあ結局絆されちまうんだなァおれ。
「……わあったよ、努力くらいはしてやる。少しだけな」
「少しだァ?」
納得できないと今にも噛みつきそうな大型犬を、ぐいと引き寄せ、頭を首元に押し付ける。

約束、まではできない。
それはやっぱり、ちょっと重い。

手のひらで襟足をさすって、笑いながらえいっと力をこめて抱きすくめると、腕の中の頭がふっと息を吐く。
しゃーねェな、って呟きを、皮膚を通して聞いた。

気を取り直したように、緑の毛並みをふさふささせた大型犬が懐いてくる。
「わ、………」
熱い体に絡みつかれると深い息が喉をついた。顔の筋肉が勝手にゆるんでく感じ――――熱でとろりと垂れるチーズを元の形に戻すのは難儀だ、不可能と言ってもいい。やばい困った。

「……ゾロ」

――――コレは泣き顔じゃないからいいもんな?

「しようぜ」

返事を待たずに、筋肉がキレイについた背中にがばっと腕を回して。
引き寄せた肩口に唇を押しつけて、ニヤケた顔をゾロからかくした。









fin







○○○○○○○○○○○○○○○○○○
えーと、ゾロはアホではありません(アホだけど)。
このシリーズのゾロは基本前のめりです。ワケは読んだら察してもらえる…かな?

inserted by FC2 system