ゆっくり歩いて、おいしく食べて。







「起きろ、クソ剣士」
声とともに、重い物音が耳を劈いた。
目を開けずに気配を探ると、背にした手すりがみしみしと震えている。
甲板に投げ出した足から目を上げると、沈みかけの太陽の赤い光を背負った黒い影が立っていた。
「ナミさんから召集だ。今後の進路のことでミーティングだと。急ぎだ。来い」
「そうか」
アラバスタを出港し、これからの船の進め方を考えるのに時間をくれと言ってたナミだが、考えがまとまったのか。
了承の返事をしたものの、おれは立ち上がるでもなく胡坐をかいた、すぐ前に立つコックを仰ぎ見ると、奇怪に巻いてはいるが細めに整えられた眉が怪訝そうにひそめられた。
「何だよ?」 
「べつに」
「なら早くしろ。皆待ってる」
急かしながら、白い手指がおれの腕を掴んだ。
手のひらに対して指が長い、器用そうな手だ。袖から出た腕はおれよりいくらか細いが、たいして変わらない。
その気になればおれを投げ飛ばすくらい雑作もないだろうが、この男は手や腕をそういうことには使わないと知っているから、くいくいとかるく引っ張る手に促されて大人しく立ち上がると、今まで見上げていた顔がほぼ同じくらいの高さに来る。
同時に、ずっしりと重みが腕にかかった。
「重いぞクソコック」
「わざわざ呼びに来てやったんだ。エスコートしてくれてもバチはあたらねェぞ?」
おれが言い返す前に、コックがまた急かす。
「ほらほら早く。早くしねーと、ミーティングのお茶うけに作った米粉の煎餅が全部ルフィの腹ん中に消えちまうぞ? 夕飯前だからそんなに量は作ってねェし」
「いいからぶらさがんな、猿」
エスコート。
なんとも腹がかゆくなりそうな言葉だが、おれの左腕に無理にぶら下がって尻が床につきかけてる状態では、エスコートどころか猿が折れた木の枝にぶらさがっているが如しだ。
「はァ? てめェ目ェ悪いのか気の毒にな、おれは人間サマだぞ? さらに水も滴るイイオトコだ、ホラホラ目ん玉かっぽじってちゃーんと見てみ?」
しがみついた腕をぶんぶんと振りながらわめく姿は、イイ男どころか駄々をこねるガキじゃねェか、と思い。
だが、ことさらに口をついた呼び名は、別方向のものだった。
「うるせェ、エロガッパ」
「………そうか?」
ぴたりと動きを止め、うって変わった静かな所作で、おれの左腕に自分の腕を絡ませてくる。
そうして見上げてくる眸には、挑戦的な色も悪戯っぽい光も、無かった。
「何がだ」
「おれってエロガッパ?」
「……そうだろうが」
絡ませた腕に微かに頬を摺り寄せられた。気のせいではない。確かな弾力と温度が、さわり、と触れたのは。
偶然か、それとも。

(…………ッ)

視界の端が、丸く霞む。
腕にしがみついた身体を掬い上げ、肩に担ぎあげた。
そのまま甲板を歩きだすと、夕日が横殴りに目を焼いた。

「おい………なにしてんだ?」
「エスコートしろっつったろ」
「お前にとっちゃこれがエスコートなんか? こりゃ担いでるっつーんだ! ったくこれだから無粋男はヤだねロマンも何もあったもんじゃねェ。おれは米俵かよ?」
コックは文句を言いながらバタバタと足をばたつかせていたが、はたと動きを止めて、何かに気づいたように小声で呟いた。
「………あーでもそっか、おれが米だったら、お前に……」
「……なんだ」
「……なんでもね」
にひひ、と人を食ったような笑み。
そこから無理やり目を引き剥がし、沈む太陽を睨むように見据える。

こいつの言葉の持つ、手探りするような浮わついたような、時にこころもち咎めるような、響きに。
心臓が波打つようになったのは、いつからだったか。





仲間にするコックを探して訪ねた海上レストラン。
細身のスーツに包まれて闊歩する姿は、一見おれとは育ちも話も合わなそうな坊ちゃん風に見えなくもなかったが、見た目に反して相当ガラが悪いのはすぐに判ったので、誤解しようもなかった。
結局、おれが居ない間にルフィが説き伏せて連れてきたのだが、こいつは最初からさして構えることもなくおれに話しかけてきた記憶がある。
そして同じ船に乗れば、朝昼晩と一日中一緒だ。当然会話も交わす。
軽そうな金髪頭がそこに存在してるのに慣れてきた頃には、互いに軽口を叩くようになって、そのうち軽口でとどまらずに口喧嘩になり、刀や足を持ちだしてのケンカも増えた。
そして今では。
自分から、こいつから、相手の気に障る言葉を投げつけては、ケンカになだれこむ。

『ゾロ!』

アラバスタでの戦い。一分一秒を争う戦いのただ中、時計台の下方から叫ばれたそれは、そんなはずもないのにそんな場合でもないのに無性にまろやかな音に聴こえて、少し慄いた。
慄いて、波打った心臓を手で押さえた。






肩に担いだ男は、下ろせとは言わない。もぞもぞと動きながら足をぶらぶらさせている。
上半身を支えたいのか、手が置き場を探しておれの胸や肩、首周りを彷徨う。視線を横面に感じた。
「じっとしてろ。急ぐんだろ」
「そうだけど。……でも、大丈夫だと思うぜ。お前の分の煎餅はテーブルには置かねェで隠してあっから。ルフィ達の分のお代わりもちったぁ用意してあるし、お前の煎餅まで食われるこたあねェよ。茶もお前のはまだ淹れてなくって、カップを湯で温めてるとこだから、冷めて飲めなくなるって事もねェし」
コックは、歯に何やら挟まってるみてェに歯切れ悪く、ごにょごにょと言葉を並べる。
「そうか」
だから何だってんだ。
足を速めると、不満げな視線が鼻面に刺さる。
何だってんだ。
足運びを遅くすると、小さく笑った息が耳を掠めた。
―――――何だってんだ。
乱暴に身体を揺らしてやれば、バランスを崩しそうになったか、両腕がおれの首にまわり、しがみついてケラケラと笑う。
笑い声は軽やかだ。
横目でちらり見た顔も、頭の悪そうな軽い笑顔だ。
ってことにどこかホッとしたような気分になるのは、つまりおれはこいつにはこのアホのままでいてほしいんだろうか、と考えれば、そうじゃない気もして、だが今はこのアホはまだ、ただのアホだ。

グランドラインに入って、アラバスタを後にして、メリー号は進む。
この先、おれ達はどうなるのか。こんな海だ、未来の形は見えない。
一瞬脳裏を過ぎった光景は、ピントを合わせようとすると霧散してしまった。

「ちゃんと摑まってろ。落ちるぞ」
「担いだのはそっちだぜ? てめェがしっかり抱えろ」
偉そうな命令と同時に肩の上の重さが増した。
ぐっと両腕に力をこめたのは、命令に従ったわけじゃねェ。
タコみてェにぐにゃりとくねった身体が滑り落ちそうで、とっさに力が入っちまっただけのことだ。

「おれは米俵――つまりてめーの大好きな米だぜ? 落とさねェようにゆっくり丁寧に運べよ。そしたら美味しく食べさせてやる」

くすくすとご機嫌な呼気が、耳朶をくすぐる。
腹の中でくつくつと煮える何かを、ぐっと腹に力を入れてこらえた。






fin.






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自分の気持ちにサンジは半分気づいてる&ゾロはまだ無意識。びみょーな探り合い。
ゾロの肩の上の米俵が「食べられる」のはもうちょい先です^^
今はこんなですが、くっついたらバカップルと化すんだろうなあ。
その過程を書くのも楽しそうだ^^






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