それは何と呼ばれるものかと










木の幹を背もたれに瞼を閉じていると、そばに建つ建物から誰か出てくる気配がした。
目を開けなくてもわかる。
聴診器を首にかけたままのチョッパーのささやかな足音。
チョッパーはゾロの姿を認めると、ぷいとそっぽを向いた。
「あの野郎の容体はどうだ」
チョッパーが出てきた部屋は、さっきルフィ達が訪れた、ビッグマムの一味のペコムズが臥してる部屋だ。
「ゾロ?」
「ペコムズって野郎を診てたんだろ」
「……うん」
つぶらな目が当惑を織り交ぜた視線をよこす。
「重症だよ。ほんとならしばらく動かしちゃダメなんだけど」
そろそろと見上げてくる小さなトナカイに、ふん、と息を短く吐いた。
「そいつが動けねェと面倒が増えるな。ルフィがエロコックの所に行くにはそいつを連れていくしかないとしたら、動けるようになるまで待たなきゃならねェ。重症ならそれだけ行動が遅くなっちまう」
そんなには待てねェから、最悪担いで行くしかねェのか。
最後のフレーズは口に出さず、違う言葉を舌にのせた。
「まァだったら行かなきゃいいだけのことだが」
「ゾロ! ……本気で言ってるわけじゃねェよな?」
丸い目が糾弾の色を帯びて、睨みつけてくる。
「放っておけとか本気じゃねェよな? お前とサンジっていつもケンカしてるけど、仲が悪いのとは違うと思ってた。まさか……まさかホントに、サンジがこのまま帰ってこなくてもいいって思ってるわけじゃねェよな!?」
くしゃりと顔を歪めて、小さな体が訴える。
「おれわかんねェ。それにゾロ、おれ達がゾウに来る経緯を話した時、怒ってたよな? 今も、怖ェ匂いをさせてる。サンジに怒ってるのか?」
「別に怒っちゃいねェよ」
「怒ってるよ。……けど、サンジにはきっと理由があるんだ。ビッグマムの手下に何か耳打ちされてたし……サンジが簡単におれ達から離れようとするはずない。それくらい、ゾロだってわかるだろ?」
「だから怒ってねェ。あのアホがどこに行こうがおれの知ったことじゃねェよ」
ぞんざいに言うと、真ん丸な目にみるみるうちに涙が溢れた、信じられないという表情で、
「――ゾロのバカ!!」
叫ぶと、涙の滝を落としながら猛スピードで走り去ってしまった。











後味が悪い。胸に苦い煙が湧いてきて眉が寄る、もともとチョッパーが泣くのを見るのは得意じゃない。
小動物をいじめた気分になるからだ。
「お前らもおれが怒ってるように見えるのか」
振り向かず前方に問いを投げる。後方の木の陰からふたつの人影が姿を現した。
森の中の小道を歩いてきたらしいナミとロビンだ。ゾロの前で足を止めると、口々に即答する。
「見えるわよ」
「いくらか譲っても、機嫌が悪い、という評価かしらね」
唇を歪めて、チッと舌を鳴らす。
「でも良いんじゃなくて? 本当にサンジがどこに行こうと気に留めないのなら、怒ることはないはずだもの」
そうでしょう? とロビンが微笑する。
ナミが虚をつかれたように目を瞬かせた。
「さァな」
「……アンタが怒ってるのはサンジ君を心配してるから?」
横からナミが、らしくもなく心もとない口調で口を挟む。アホコックのことを心配して泣いていたのを思い出して、心地の悪さが微かに胸をよぎった。
「……あのバカは放っといても、てめェでなんとかして帰ってくるだろ。誰かが勝手に決めた結婚話にうろたえて判断力をなくしたり、カイドウとやりあうのが目に見えてる今、自分の行動がどういう意味を持つか分からないほどアホじゃねェはずだ」

アホじゃねェ、はずだろ? 

てめェはそんなに愚かじゃないはずだ。同じ船に乗って、顔を合わせれば罵り合って、バカみてェに笑って、そんなのは当たり前だ。外野がどう騒ごうとおれ達の航海は揺るがねェ、一味の乗る船を進む海を何より優先する、そのはずだろ。
(違うとは言わせねェぞ!!)
握りしめた拳が視界に入る。知らないうちにきつく結んでいたらしいそれを開こうとするが、指が強張ってなかなか動かせない。肩や腕、全身に変に力が入っているようで、ゆるめようとするが上手くいかなかった。

いつだって必ずそこに居ると、ゆるぎもなく信じていた。一味が分散しての別行動は今までもあったがあくまで一時的なもので、必ず合流する時が来るから許せた。船をつけた島で女を追っかけてふいに消えても、必ずサニー号に戻ってくるから許せた。
(覚悟した表情だと?) 
何の覚悟だ。 
いなくなる? 一味を抜ける? 誰が? あいつが!
んなの、許せるはずねェだろうが!!

(――――おれは、怒ってるのか?)




「でも相手は四皇、ビッグマム。成すすべなく向こうの要求を飲まされる可能性も大いにある。サンジ君を信じたいけど、黙って待ってるなんてできないわ」
そう言うナミは先刻ルフィと一緒にペコムズの話を聞いていた。ルフィがコックを迎えに行くと決めて少しは気が楽になったろうか。
ロビンはうすく微笑めいたものを浮かべたままだ。
「サンジの所に行くのに一緒に来てとルフィから言われたら、あなたは行く?」
「ビッグマムにケンカを売らねェって格好にするなら、おれは行けねェだろ。ルフィも来いとは言わないはずだ」
「それでも来いと言われたら? 断るのかしら」
「行くさ」

勝手にいなくなったりしないと信じていたから、いつだって好きな時に怒鳴り合ってケンカして笑い飛ばせると信じていたから、おれ達はそれでいいのだと思っていたから。
放っておいてやったものを。

「とっとととっ捕まえて殴ってやりてェ」
「アンタね………迎えに行くのよ? 捕まえに行くんじゃないんだから」
「知るか。とんだ面倒に巻き込まれやがって。こんな面倒なことになるんなら、視界に入る場所に常に置いときゃよかったか。腹引っ掴んで抱えときゃよかったか? 縛って勝手に動けないようにしといてもよかったか。あのアホにはちったァ思い知らせるべきだ。おれが連れに行くならこの手できつく羽交い絞めにして、ガーガーぬかすなら口をふさいでやるのに」
口が勝手につらつらと言葉を並べていく、妙に熱い息に混ぜて言葉を吐き出し終わると、ナミとロビンが何やら奇妙な顔をしていた。互いに顔を見合わせる。
なんだ?
先に言葉を発したのはナミだった。
「………ゾロ、それってどういう意味?」
「あ? 何だ」
「サンジ君を心配してる? ううんそれは間違いじゃないんだろうけど、アンタのそれって、何だか……心配よりももっと、なんだか激しい―――執着? みたいにも聞こえるわよ」
「――――は、」
「たとえばね」
ロビンが代わりに話を繋いだ。
「口をふさいでやるって、何で塞ぐのかしら」
ココ、だったりしてね?
ロビンの手が数本連なって咲き、にょっきり伸びた指先が、唇の寸前で止まった。


「……今の顔、鏡で見てきたらいいわ」
呆けたようなナミの声が耳に届く。
「野暮はここまでかしらね」
ロビンが微笑ったままナミの肩を押す。
ナミは「え、えーウソ、ホントに…!?」などと呟きながら、勧めに従ってその場から歩きだした。











――――鏡、だと? 今の顔なんて見たくもねェ。
天を仰ぐ。空は青い。
なんだってんだ、これが青天の霹靂ってやつか。
鍛錬中でも戦闘中でもないのに、脈がぐんと勢いを増したのを自覚した。顔の筋肉が強張っている。

まさか、おれが、こんな時に。
―――いや、こんな時だからこそ、なのか……?
奴がどこにいるかも定かじゃねェ、追うこともできない、こんな時、だからこそ。
気がついちまうのか?

心臓がどくどくと鋭く打つ、突き上げる衝動に喉が渇く、皮膚の下で血がざわざわと凶暴に這う。
まさか、こんな時に。
こんな時、だからこそ。
「………まいった……」
腰が落ちてどすんと重い音がする、土の上に座りこんで、苦々しく唇がゆがむ。
強張ってしびれた手を苦労して開くと、やけに汗ばんだそこに目が吸いこまれた。

「……おれは……」

今、この手に。
あのアホコックを掴みたい。
手前勝手に姿を消した、あのバカ野郎を。
引き寄せて腕に閉じこめて、チカチカと目に煩い金髪が振り向いたら、言ってやりたい。悪口雑言を言い散らす前に、その口をおれのそれで塞がせろ、と。

そしたらあのアホは一体どんな顔をしやがるだろう。
俺の頭を疑うか呆れるか、怒るか。それでもいい、その後でいいから。

できることなら頷いて、ゆるゆるのアホ面で笑ってくれないか、と、どうしようもなく。

――――どうしようもなく、今。

願っていた。










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ゾウでのゾロは、サンジのこと、心配よりも苛立ちの方が先に立ってるように見えるんですよね。W7での別行動時はわりと素直に心配してたのに、何でだろう?と悶々と考えた末こんなのができました。仲間ってだけじゃないから素直に心配できないんじゃないかなーと妄想すると楽しいですえへへ。

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