19歳、オトナになれない。








朝食の席で、今日は一日天気が良さそうだから掃除をしましょうとナミさんが言った。
「「えー」」
こういう時、たいてい異口同音にごねるルフィやウソップ達を蹴り飛ばして掃除をさせるのは決まっておれである。おれとナミさんは、この船を、ぴかぴかでなくてもいいけどそこそこキレイにはしておきたいのだ。それはそれなりの期間そうだったのだけど、ロビンちゃんやフランキーが仲間になって、「ナミさんとおれ」派は二人増えた。心強い。
そんなわけで、今日も船内がぴかぴかとは言いかねてもそこそこキレイに掃除された頃を見計らって、おれはルフィとウソップとチョッパーに鶴の一声を放った。
「ルフィ、ウソップ、チョッパー。お前らそこらへんでやめていいぞ〜。ダイニングにドリンク用意してるから飲んできやがれ」
ひゃっほー!!と叫んで駆けてく野郎どもの頭の中からは、「片付け」の文字は消し飛んでるらしい。ま、いいけどな。おれは食事の準備で途中掃除を抜けてたし、後片付けくらいはやってやるさ。
散らかった掃除用具を集めて仕舞い、雑巾代わりのタオルを床に積み上げたところに、洗濯物を抱えたフランキーがやって来た。
「フランキー、それ洗濯すんのか? こいつも頼めるか。あー……量が多すぎるなら」
「ん? 構わねェぜ。上に乗っけてくれ」
「すまん。助かる。適当にキレイになればいいから」
ロボのでかい両手が抱えた洗濯物の上に、汚れたタオルをありがたく山にさせてもらう。
雑巾が底を尽きたとナミさんが言っていたので、ルフィ達は古めのタオルを代わりに使ったようなのだが、どれもこれもひどく汚れている。捨ててしまいたいとこだけど、次の島で仕入れるまでは我慢だ。洗って使うしかない。
「おうよ。ガンガンに洗ってみらァ」
「破れない程度で頼む」
鼻歌を口ずさみながら、山になった洗濯物の横から前を確認しつつ去ってくでかい背中を見送って、ライターを取り出す。
煙草をすうっと大きく吸って、吐き出すと、なんとなしに微笑が浮かびあがるのを自覚した。
なんかあれだな。
かしましいルフィ達の相手をした後にフランキーと話すと、なんか落ち着くんだよな。
フランキーが仲間になって、この一味にはおれより年上が2人になった。
ロビンちゃんは見るからにしっとりと落ち着いたレディで。フランキーは目立って落ちついた言動をするわけじゃねェけど。ふたりとも、人を受けとめるゆるりと鷹揚な空気を持っている。
あれって要するにオトナなのかね。

(……オトナ、ねェ)

二本目の煙草に火をつけて、さてダイニングに戻ろ……う、と、したはずが。足は勝手に別の方へ向いていた。
外に出て甲板を見渡す。
あれ、いねェ。
アクアリウムバーか、男部屋かと迷った末男部屋に行ってみると、ロッカーの前でしゃがみこんでいる背中。ビンゴだ。
「クッソマーリモー」
グーにした手を突き出す。と、反射的に振り返り受ける体勢の緑の頭の上で、拳をぱっと広げた。
眇められたの眸が手のひらを舐め、何もないことを確認すると、訝しげに尋ねる。
「何だ」
「パーだろ?」
「何の真似だって訊いてんだ」
「いやお前の頭見たらさ。やっぱコレだよな…って、つい、反射的に」
「コレ?」
「うん、コレ」
指の間をいっぱいに開いて、大きなパーを、マリモの頭上にかざす。
「パー。……だよなぁ…」
「よし斬られてェってことはわかった」
噛みしめるように言うと、目を吊り上げて鞘に手をかける男に、くく、と笑ってみせる。つとめて愉快そうに。
ホントは。
短髪なせいで目の毒なほどよく見えちまうゆるいカーブを辿ってみたくて、つい衝動的に手が動いた、んだけど。
「それはそうとお前、刀の手入れすんの?」
訊くと、ケンカする気になってた出端をくじかれたのか、アホ剣士は少し間を置いて、答えた。
「文句あんのか。掃除はもう終わったろ」
「ん? ねェけど」
大事に腰にぶら下げてる刀を、いつもこいつは念入りに手入れする。
戦闘の後は特に入念に。
その時、見た目無骨で繊細さのかけらもなさそうな手が、存外に細やかな動きをすることを知ってる。
何で知ってるって? 見てるからに決まってるじゃん。
こっそり。横目で。
甲板に座りこんだ筋肉ダルマが、きらりと陽の光を弾く刃を真剣な目で丁寧に扱う姿を。何度も何度も何度も(×100くらいリピート)盗み見てる。

「おい?」
涙ぐましい考えに浸かりかけてたら、不審げな声がのぼってきた。
「おし。行くわ」
ぽんと頭を叩いて男部屋を出ようとしたら、腕を掴まれた。
「待て。何しに来たんだお前」
何しにって、何しもなにもな、これって用もなくな、ただ足が、この足が、勝手にふらふらと歩いちまったんだ―――お前を、探して。
「あのよ。ロビンちゃんやフランキーが来る前は、この船じゃおれとお前が年長だったよな」
「あ? それがどうした」
「年下の奴らに比べりゃちったぁオトナなんかなーって思ってたけど、やっぱおれらって大人気ねェよな」
「おれら、ってのはお前と」
「マリモくんに決まってんだろ」
「おれをてめェと一緒にすんじゃねェ」
「一緒だろ。おれら」
角を削ったまるい口調で返していると、ぽんぽんと投げつけられていた粗い音がそこで途切れる。

大人気ない。
別にいいじゃんか大人気なくて何が悪い。
ヤることだけヤったからって、それでオトナになるワケもねェじゃん。
バラティエの常連客だったその道の経験豊富なオトナの皆皆さま方は、白黒つけるばかりが正解じゃないと、時には曖昧に濁してこそ良い関係を保てるのだと、さもそれがただしいオトナの嗜みのような口ぶりだったけど、ホントかな?
だとしたら。
おれはオトナにはなれそうもない。

空島で。
大事な刀でおれの料理を手伝うことを持ち主が厭わなかった、文句の一つだけで手入れされた抜き身をさらりと差し出した、そのことが小躍りするほど嬉しかった、あの時。火照る胸の正体に気づいちまった、あの時から。
大人気ない。オトナじゃない。オトナになれない。
なぁ、お前もそうだろ? 
そうだと言えよ。

唇をぐっと横に引けば、表情を変えないマリモに腕を引っぱられて、背を抱き寄せられる。
大きな手がそっと髪に触れた。後ろ頭を撫で、首筋に下りて、襟足をくすぐる手にはほのかに遠思慮が見え隠れしていて、背筋を駆けのぼる焦れるような痺れが加速する。
お前は他の誰かにもこんなふうに触るんかな。
それならそうと言ってほしいんだけど。そしたら。
地団駄踏んでむずかって一晩泣き明かして。そうしてから、諦めるよう努力するのにな。
マリモは黙って髪を梳きながら、もう片方の手で背中を撫でる。こんな時なのにまどろんでしまいそうに優しくて、魔獣なんて呼び名を持つ男のくせにって、鼻の奥がツンと沁みた。

(も、無、理)

無理。訊く。
「お、まえさぁ…」
う、声がブレブレだ。サボるな舌、頑張れ口!
「お前なんで、おれにこういうことすんの」
こいつは愚かと言っていいほど虚飾とは縁のない奴だから、大丈夫。
どんな答えでも、きっと失望するようなことはない。
「惚れてるからに決まってんだろ」
ほんの一瞬、間が開いた気がしたが、気のせいかもしれない。そのくらい返事は早かった。
「…………」
は、あのそのいやそのお前あのさ。
「……てめ……は、え、あ?」
声が掠れる、舌がもつれる。
いやその可能性まったく考えてなかったつったら嘘だけど、ちょっとは期待もそりゃしちゃうじゃんか、でもなあのそのそれって、
「…………マジ話?」
「あァ」
腕を胸板に突っ張って顔を見ると、バツが悪そうな表情がそこにあった。むっつりと唇を結んだかと思うと、やがて重そうに開く。
「あん時訊きそびれた」
節ばった指が、やんわりとおれの頬を撫でる、瞼を押されてゆっくりと瞬きすると、肩口に顔を押しつけられて何も見えなくなった。
「訊いて、誰でも良かったとか言われたら、ちったァ落ちこむ」
しでかした悪さの言い訳をしてるような、声音。反省はしてるけど拗ねてもいる、非はあるけど言い分もあるのだと、それに対しておれは言い訳するななんて言える立場じゃないのだ、なぜなら、あの時のあれは、発端はこいつだったとしても、
「お前、なんであん時蹴らなかった」
応えたのは、おれだから。

「……――ッ」
あん時、と強調する低く圧をはらんだ音に、耳から襲撃されて、心臓がやられた。
血のめぐりがぎこちなく爆速になって、呼吸まで速くなっちまいそうで、長く息を吸って、長く吐き出す息と一緒に、ようやく言葉が吐き出せた。
「……知らなかったか? おれはもったいない精神にあふれてんだ」
食べ物はもちろんだけど。どうやら恋ってやつに対してもそうだったらしく。
「触ってくれるってのに、蹴れねェよ」
ゆっくり、頭を起こす。呼応するように唇がゆるんでく。肩を揺らして笑ってやると、目と鼻の先でぴくっと震えたまっすぐ睫毛。無駄に怖い目つきが、ちょっと可愛げをまぶして見えた。
「だってもったいねーじゃん?」
床に倒されて伸しかかられて、こいつが何をしたいのかを理解した瞬間、どうしようって頭真っ白になったけど。受け入れてしまった後、あーだこーだと気を揉むはめにもなったけど。
伸ばされた手に応じたことを、後悔はしていない。
「すきなやつが触ってくれるんなら、一回だけならいいって思ったんだよ」
一回だけならいい。
気まぐれでも溜まったから処理したかっただけでもなんでもいい。
ただ、なんでお前があんなことしたのか、それだけははっきりさせずにはいられなくて。
緑色の頭が動きを止める。
「一回だけ、だと?」
「そ、一回だけ」
ぐっと眉が寄せられる、刻まれる皺がありありと不満を言う。
「二回目は」
「おれ、二回目以降はコイビトじゃないとやんねェの」
「今からコイビトだ」
「よし乗った」
力のこもった即答に、さらに俊足で許しを与えてやったら。
馬鹿力で締められて背骨が撓んだ。痛ってェのに口元は緩んだまま、耳の後ろを撫でられて、自然と首が傾く。
「さすがラブコック」
低く唸るような感嘆とともに呟かれた、よくわからない賞賛は。
どちらからともなく合わせた唇の上で聞いた。




いきなり持ちこまれた寝技のワケがどうしても気になって訊きたくて気を揉んで息を潜めてタイミングを計るのは、in戦地に掘った塹壕って居心地だった。飛んでくる弾が白か黒かと身構える緊迫ムードの中ついた色は、めでたいことに白だった。一回だけにしとかねェとぜってェ泥沼にはまっていい記念にするはずができなくなりそうだからしっかり盾で防御してたのに、記念にする必要なくなって盾もなくなった。残ったのは即座に示し合わせて限定解除した二回目以降だ。おー思ってたより全然マシ、おれにしちゃあおれらにしちゃあ、すげェ上等じゃねェ? 
大人気ない。オトナじゃない。オトナになれない。
そんなおれとおれと同い歳のバカ剣士の、恋の成就のオハナシ。








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サンジが遊びの恋をできるイメージがわかない
ゾロはいわずもがな。

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