幻になりたい








「―――クソ剣士? ……オイ! マリモヘッド!!」

うっわ何コイツ、熟睡かよ。








凪いだ海にぷかぷか浮いた船、もっかのところ平和そのものの航海に、先刻、問題がひとつ急浮上した。
命の危機に瀕するほどのピンチじゃない、かもしれないし舐めたら割と危険かもしれない、一時間ほど前、唐突に、急激に、とにかく。

(―――暑ィ……)

海域が変わったのか、日差しが突然容赦ない強さで照りつけ、クルーはほうほうのていで屋内に避難してきた。急いで冷たい飲み物を用意すると、奪い合うように皆の手に渡った、その後にひとつだけ、残ったグラス。
用意したグラスはきっかりクルーの人数分だ。とすると。
おれとしては心底放っときたかったが、目に映るグラスの中の氷が時間が経つごとにからんころんと涼しげな頼りない音を奏でて小さくなっていくのに背中を蹴られて、仕方なく透明なガラスの円柱をトレイにのせて外に出てみれば、木の板なのにフライパンとして使えそうなほど熱された甲板で、剣士が大の字になって転がっていた。
事切れてんじゃねェだろうなと口元に手をかざしてみれば、規則正しい寝息。
呆れるね。
よくこんなとこで寝れるもんだしかも熟睡。
せめて芝生の上で寝ればちっとはマシなんじゃねーの、どうせ頭は今でも雑草みてェなんだからこの際思う存分陽を浴びてわっさわっさ育っていっそ芝生と同化しちまえばいいのに。

(あー……、あっつ、)

背中を汗が伝う感覚に眉を顰める。かっちりした服は風もろくに通さない、この気候にこの格好は無理がある。
分かっちゃいるが、コックたるもの、クルーが夏の陽気に倒れたりしないようドリンクを用意するのが先だ、ってことで、おれはまだブラックスーツから着替えていないのだ。
最高にクールな艶のある黒の布地が、今はいけねェ。
黒は熱を吸収しまくるもんだから、外に出たその瞬間から、全身が加速度的に温度を上げていってる気がする、いや、気がするじゃなくて間違いなく上がってる、だって今おれ死ぬほど暑い。

――――で。
このままだと照り焼きになるか干物になるか、ってな具合なんだが。
そんなときにおれ達は何をしてるんだろな?
何でコイツはこんな炎天下、見張りするでもなく舵をとるわけでもないのに涼みにも来ずこんなとこで爆睡してんだろ。
何でおれはこの暑いのに、コイツの硬い頭を膝にのっけて揺らさないよう動かさないよう息をひそめてるんだろ?

「………ン」
「やっと目ェ覚ましやがったか、クソ剣士」
「……コック、」
「良く眠れたかよ、乾燥マリモ」
「のど、渇かねェか」
「カラカラだよ」
てめェのせいでな。
そもそもおれァ余ったドリンクがひとりぼっちで不憫だったから、渋々サーブしに来ただけなんだ。
なのに、額に頬に首筋に汗を滑らせたマリモ野郎が、蹴り起こす前にごろんと転がってきておれの膝の上に頭なんかのせやがるから。
「飲むもんねェのか」
「あるけど。速やかな水分吸収と夏バテ防止各種栄養にもこだわったサンジ様特製ドリンクがここに」
でももう美味くねェだろうな、もとはキンキンに冷えてたのに、おれが身動きできないでいる間にぬくまっちまったろうから。
細長いグラスを頭の上にかざしてやる、陽光がグラスを通り抜ける際に屈折して、上向いたマリモの顔に落ちる光がゆらゆらと揺らぐ。汗のにじむ額の下にしっかり開いた両のまなこが、強い日差しに底まで照らされてみえる、その眸にも、腿の上に鎮座した頭にも、退く気配はみえない。
「…………」
こくりと喉が鳴る、グラスの中身を口に含む。背をぎゅうっと丸めてかがみこみ、無理のある体勢に気管が詰まりそうになりながら触れ合わせた箇所は、同じ温度で、上から下へと流れてくドリンクも同じ温度で、ぬるくて、温くて、
熱くて。

(あー……―――もォ、)

もォあれだよアレこんな暑い昼日中には、幻影とか蜃気楼とかそんなものが熱気にまぎれて現れたり消えたりするんだって、そんな噺をガキの頃読んだ、ような。
だったら今のおれ達も熱気にまぎれる、まぼろしなんだきっと。
凶悪に波打つ熱気の狭間に、昼日中の不埒な行いは、紛れ隠れる。
もし今、誰かに見られても、そのおれ達は本体じゃない、ただのまぼろし。
だから、
なら、
――――こんくらいなら、な?

「………暑ィ……」
「あァ、熱ィな」
「そう思うならそろそろ退きやがれ」
「ん」
「ん?」
足にかかる重みが少し軽くなる、緑の頭が軽くもたげられるのに合わせて体を起こすと、濡れた唇がくいと窄んで追いかけてきた。
「もう一回しろ。熱ィやつ」
「……何の話をしてやがる!?」
未だ枕になったままの足を振り上げようとして、ハッと急ブレーキをかけた、……ことに遅れて気がつく。

しまった。
あほかおれは。
今、この体勢から逃れるのにちょうどいいタイミングだったんじゃねェか。
足を振り上げて、膝から滑り落ちたコイツが甲板に頭をぶつけたところを蹴り起こして、てめェでグラスを空にさせて。そんでぜんぶコイツのせいにしちまえば良かった。
滑稽な炎天下での膝枕も、日干しマリモにくちびるをよせたのも。
すべて、何もかも、このバカが、このバカだけが、望んだワガママだってことにしてしまえば。
そうすれば、苦しい言い訳なんか考えずに済んだのに。

「このクソダーリンが……、こっちで満足しとけ!!」
首の下に腕を入れると、触れ合った肌が汗と熱で溶けてくっつくみてェな錯覚が皮膚のすぐ下を走り抜けた。ぎゅうと首を締めあげると、ぐぇ、とひしゃげた呻き。頭をごりごりと胸に押しつけて、目の前に広がるグリーンの原っぱにくちびるを埋めれば、太陽をいっぱいに吸いこんだ干し草みたいな香ばしいにおいが、胸をいっぱいにした。

(………んー……やっぱな、無理、だよなァ…)

かたくておもくて、あつくて、においもふれたてざわりも。
こんなにくっきりと存在を主張してるものを。
本体じゃないんで!! まぼろしなんで!! 
なんて言い訳したところで、昼日中の甲板のどこにも、隠れも紛れもできねェだろうさ。

なんでやっぱここはひとつ。
ぜーんぶマリモのせいってことで!!










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あまのじゃく(往生際が悪いとも言う)サンジ。
でもってゾロのせいにしたところで、ゾロはちっとも気にしないという。


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